• 父の戦場体験⑤
    来週、桜島へ行く予定である。ふと大竹新助の『本の中の風景』の写真集の中に、梅崎春生の『桜島』があるのを思い出した。最初は市の図書館で借りようかなと思ったが、本立の片隅にその小説はあった。           【1956年刊】        【敗戦の翌年1946年雑誌『素直』に掲載】※1945年7月初旬から8月15日敗戦までの話。坊津から桜島に転勤し、桜島の海軍基地の様子が虚無的に写実的に淡々と描かれている... 続きを読む
  • 父の戦場体験④
    父が駐屯していた兵営はRabaulのどの辺りにあったか知らないが、飛行場へはJungleの中を歩いて1週間ぐらいであったそうだ。 1943年(S18)年に戦況不利なため、絶対国防圏なるものを日本軍は策定した。Rabaulはその圏内に入っていなかった。『さらばラバウルよ また来るまでは しばし別れの 涙がにじむ…』(ラバウル小唄)の歌詞にあるように、ゼロ戦は内南洋に去って行った。 1944年に飛行機もないのに、父達は徒労な飛... 続きを読む
  • 父の戦場体験③
    New Britain島のRaboulは太平洋戦争の戦場の最先端でした。USAやAustraliaの戦闘機が日本兵一人でも見付ければ、容赦なく機銃掃射を浴びせてきました。 ある日、父は運転手と二人で軍用車に乗っていました。敵機がいきなり背後から現れて、車目がけて機銃掃射を浴びせてきました。弾丸が父と運転手の間を通り、前面のInterior Panelを突き抜けました。たちまち車は燃え上がり、父達は道路脇の窪地に平伏しました。敵機はその... 続きを読む
  • 父の軍隊生活(戦場体験)②
    父は東北の水呑み百姓の生まれであった。しかも12人も兄弟姉妹がいた。(しかし昔のことだから、幼いうちに何人か死んでいる。)上から5番目に生まれた。親は貧乏しながらも高等科まで出してくれた。上の兄貴等は頭が良くて、小学校の担任の先生がやって来て、「ぜひ中学へ行かせてはどうか。」と言ったが、家計が許さなかったそうである。村にSailor服の水兵が休暇で帰省して来た。とたんに父は海軍に憧れて、親に頼んだが許しては... 続きを読む
  • 父の軍隊生活(戦場体験)
    私も年取ってきたので、父が生前語った戦争体験を語っておこう思ういます。 1943年(S18年)、30歳を過ぎてから海軍に召集を受け、横須賀鎮守府に入営した。「貴様等は歳を取っていて、海軍経験も豊富だから、安全な所に行かせる。」と上官に言われて、2か月ぐらい横須賀鎮守府に留められた。輸送船が出港してから行き先を知らされ、戦場は連合艦隊司令長官・山本五十六が戦死したRabaul(ラバウル)であった。(正確には山本が... 続きを読む

Jedentag≒Sonntag(毎日≒日曜)

Bohken-Dankichi

Author:Bohken-Dankichi
Sarajevoに知合いを訪ねました。背景画像は彼がSecond HouseでBBQをやってくれた時に参加した美女達です。
DeutschlandのMärchenstraßeを旅している時(10年ぐらい前)のDB内の写真です。多分Sommerkurs(Summer Course)かSommercamp(Summer Camp)へ出かける途中だったのでしょう。とても可愛い中学生(Mittelschüle)達でした。