偽タモリ的Geo Tour『平塚・金目川流域の地形』


Yahoo Blogで書くのが最後の記事となるのだろう‼ 
なにゆえBlogを閉鎖するのか分からない!
金儲け主義に走っている!    

今日は小田急線・東海大前駅で降車して、少し歩き、さらに大学の構内を南に抜けて東海大学正門前に集合した。
しかし2Groupの学生に構内で「正門はどこですか?」聞いたのだが、首を傾げていた。 
不思議だったのだか、通称は南門と言っているらしい。(でも正門前Bus停留所は確かにあるのだが…。)
東海大は駅からも遠くなくて、快適な場所にある。

Guideはブラタモリにも出演したH博物館のNさんである。

またAmateurの私が、高校の地学基礎・地学の単位を選択している生徒達に講義しているつもりで書いている。(理解力不足や誤りが多数あるはず…。)

    【地形見学のRoute】…Nさん作成のRoute地形図






















    【地質図】…Seamless地質図より、加筆












































    【東海大学正門】























    【金目川の堤防で下流を観望】…地形図・地質図上の※印から撮影

明らかに家屋や田畑は河床より低い天井川である。
対岸はCの堆積層が造り出した隆起した丘陵地帯と考えられる。
(地質図か読み取ることができる。)

    【堤防より東海大学を傍観】…地形図・地質図上の※印から撮影

東海大学のBuidingはおそらく金目川が造った段丘上に建っている???
東海大学の建造物BやCやDの地層の面上にある。
地層BもCもD金目川等の河川が造り出した段丘と考えて良いはずである。

    【金目川流域の立体地形図】…『平塚博、2008、金目川博物誌』より



















秦野盆地の河川を集めた金目川は、隆起し続ける丘陵地先行川となって下刻した。
金目川平塚の平地に出ると扇状地を造っている。
上図の平らな部分がはっきり分かるが、これ等は河岸段丘であり、凹凸がある丘陵地の部分も河岸段丘or海岸段丘であったものがかなりあるはずである。
 
    【扇状地・河岸段丘のでき方】















類似した図は中高の理科や地学や地理の教科書に掲載されている。

    【平塚・親水公園の段丘崖の湧水】






































段丘面は、昔の河原だった場所なので、たいてい河原の礫が堆積している。
その礫層を水が通り抜けてくるため、湧水(泉)が存在する。

    【親水公園の河岸段丘地形】























    【大山・丹沢山塊を望む平塚の豊かな耕作地】



















この豊かな田畑も金目川がもたらした平地であるが、金目川は暴れ川で、歴史時代を通じても何回もの洪水に見舞われている。

    【この地域の散策路】






















    
    【1698年以に建てられた平塚光明寺(金目観音)の二(仁)王門】






    
















    【1498年(明応7年)に建立、その後の大改後後の修観音堂(本堂)】 























   【1498年の造立の重文・本堂厨子(付)前立聖観音菩薩像】   





































HP『平塚市しってもらい隊』より

    【金目川の流路変更】
























金目川の流路は上図の様に少なくてもWürm[ヴュルム]氷期頃or縄文海進以前 には旧河道辺りを流れていいて埋没段丘が形成されていった。
その縄文海進等により沖積層堆積されたが、かっての流路は変わっていなかった。(沖積層基底等高線ー60~-10mの分布でわかる。)
近世になって現在の河道に人口開削されたようである。
人工的に耕作田等を増やすため流路丘陵側に変えたのではないだろうか?
上記の地図よりそのように読み取れるが間違いだろか?

埋没段丘:臨海部に発達する沖積平野では、その形成に際して最終(Würm)氷期以後に於ける海面変化の影響を強く受けている。沖積平野の地下には、海面が低下した時期に形成された河谷や河岸段丘がその後の海面上昇に伴う沖積層によって埋積され、埋積谷や埋没段丘として存在している。…約6000年前の縄文時代前期…(世界大百科事典より)

    【流路が曲げられた付近の堤防】…※印 























                       
                                            das Ende


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コメント

コメント(9)
No title
> hitomiさん
土偶はメンコみたいな円形に顔が描かれている物も土偶というのですね。
名古屋から車を飛ばしてくる時、東名ではなくて中央高速の時はありませんか?
PA釈迦堂から歩いて行ける釈迦堂縄文遺跡をご存知ですか?
博物館が傍にあり、そんな土偶がたくさんあります。
確か日本で一番多く土偶が発掘されたと書いてあるとおもいます。
聖観音菩薩像は私も見ていないのです。
1年に一度しか開帳しないようです。
そうでしょうね白洲次郎は曲者でしょうね。
ひょっとするとCIAの回し者かもしれませんね。

Bohken-Dankichi

2019/06/11 19:26 URL 編集返信

No title
白洲正子に興味あり屋敷に行きたかったのですが白洲次郎は食わせ物と知り、興味がなくなりました。

hitomi

2019/06/11 09:19 URL 編集返信

No title
コメントありがとうございます。
教科書の懐かしい図、厨子(付)聖観音菩薩像、立派ですね、なかなかないです。
政治の話をしないから情けない世の中になりました、ずうずうしい極悪人どもはせせら笑って生き血吸い上げています。
話し出せばママ友も、安部らのことはうんざりしている様子がわかります。

hitomi

2019/06/11 09:17 URL 編集返信

No title
> Bohken-Dankichiさん
土偶また脚光浴びていますね、その土偶はどんなのでしょうか。京都の国立博物館で確か国宝の土偶を観ました。
何十年も前にフィールドワークで秩父まで夜行バスで行きました、丸木美術館、渡良瀬川、田中正造宅、足尾銅山、中国人の受難碑など見学しました。当時五日市憲法の本など読みました。

hitomi

2019/06/08 18:14 URL 編集返信

No title
> hitomiさん
平塚は確かに今から6000年前の縄文海進の時、平らな所はすべて海だったので、その周りの高い所には貝塚がたくさんあります。
今は第2東名の建設で、隣の秦野市には埋蔵遺跡がたくさん出てきています。
市は一生懸命発掘調査をしているようです。
一昨年も素晴らしい土偶が出てきました。
その土偶の写真を何枚も撮るほど、魅力的なものでした。

Bohken-Dankichi

2019/06/05 10:23 URL 編集返信

No title
> mimiさん
Comment、ありがとうございます。
BlogはFC2に移行するだけです。
FC2なら、YahooのBlogは残るそうですね。
老いの脳を一生懸命活性化させて、良く勉強してみます。
そうですね、この片田舎に協会があるらしいですね。
H博物館には月に2度くらい行っていますから、学芸員の人に聞いてみます。

五日市憲法のこと、秩父事件のこと、少しは勉強しなくてはとは思っています。

Bohken-Dankichi

2019/06/05 10:16 URL 編集返信

No title
iPadの調子が悪くてコメントとちゅうで記事が飛んでしまいます😱😲
もう最後の記事ですか?早すぎませんか?8月まではコメントもできますから、もう少し記事の更新もできます。最後と思わずお互い8月まで続けましょう。
私も自由民権の里に興味津津です。私の記事にも最近五日市憲法についてのコメントいただき、自分でももっと調べてみないといけないと思いました。
この土地は教会があるので、そこに集う人たちは当然人権意識についてはよく学ばれていると思います。盲学校などもあるのでもそう思いました。
御殿場でもクリスチャンや賀川が中心になって社会事業起こしています。

mimi

2019/06/04 23:26 URL 編集返信

No title
> hitomiさん
自由民権運動についての知識が私はすごく貧弱です。
この看板を見て、始めてこの地が自由民権運動が盛んであったことを知りました。
hitomiさんのCommentの内容で、さらに知りました。
ありがとうございます。
植木枝盛も金目観音へやって来たのですね!
自由民権運動については、鶴川村(町田市)で盛んであったことぐらいしか知りません。
高校の時友だちが住んでいましたので、よくこの鶴川村の小野路という所に泊りがけで遊びに行きました。
白洲次郎が邸宅がある所でもあるし(巷間、高い入場料を取る記念館として有名)、角川源義がこの地にやって来て青年団の若者に俳句を教えていました。

Bohken-Dankichi

2019/06/04 18:03 URL 編集返信

No title
Yahoo Blogで書くのが最後の記事ですか、移行サービスと称して抹殺はかっています、あくどいです。
自由民権の里、興味あります。平塚といえば貝塚?
「自由民権運動がさかんであった金目
1880(明治13)年に国会開設請願運動が大きな潮流となり、その際に金目では戸長であった宮田寅治、猪俣道之輔、森(えい=金へんに栄という字)三郎らが請願署名を集めるのに大きな役割を果たした。彼らは、翌年大磯で結成された民権結社湘南社で活躍し、やがて金目観音堂で開かれた演説会では宮田と猪俣が植木枝盛と並んで講演を行っている。自由民権運動は明治20年代になると解体していったが、彼らを始めとする金目の人々の高い民権意識は教育や福祉へと向けられた。」
解体というか、弾圧、つぶされたのですよね。

hitomi

2019/06/04 10:52 URL 編集返信

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Bohken-Dankichi

Author:Bohken-Dankichi
Sarajevoに知合いを訪ねました。背景画像は彼がSecond HouseでBBQをやってくれた時に参加した美女達です。
DeutschlandのMärchenstraßeを旅している時(10年ぐらい前)のDB内の写真です。多分Sommerkurs(Summer Course)かSommercamp(Summer Camp)へ出かける途中だったのでしょう。とても可愛い中学生(Mittelschüle)達でした。